最北野焼きは さらに北へ向かう

〔ネベリスクの浜辺に鎮魂の火〕
8月27日の宵闇にはじまった野焼きです。
九州の著名な陶芸家と仲間たちが、海の犠牲者慰霊のために稚内で催した野焼きが今年はネベリスクまで到達しました。
写真は、日本から持ってきた素焼きの作品です。このほかにサハリンの陶芸家たちも、かなりの数を持参しました。これらの作品を野焼きで完成させます。
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大きく組んだ丸太の燃焼に取り組んでいるところです。そばには、もう千人規模のネベリスク市民がおり、初めて見る野焼きに歓声を上げています。
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勢いよく燃える炎が夜空に上ります。
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燃焼本番。鎮火後、明日昼過ぎに釜出しの予定です。
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一方で、ネベリスク市がこの催しを大きく盛り上げようと協力のうえ、すぐ近くで、午後8時から12時過ぎまでアンサンブルなどコンサートを主催したため、5千人もの観衆が訪れました。
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久しぶりの朝日

〔夏が戻った朝〕
ユジノサハリンスクは、8月17日(火)から好天気が続いています。
8月18日、19日の最高気温は27度に達しました。
写真は、現地時間で8月18日午前7時20分の日の出です。
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野外バレーボールコートから

〔天気の良い休日は恒例行事〕
サハリンの若者たちが燃える夏のスポーツは、サッカーとバレーボール。
ちよっとした空き地があれば、気軽にゲームがはじまります。
写真は、晴れ間が見えた休日、ガガーリン公園南側のバレーボールコートです。
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キノコの季節

〔味のよいキノコが勢揃い〕
ユジノサハリンスクから南の港町コルサコフへ通じる国道沿いに、キノコ売りの露店が出店中です。
食べ方は、湯通し、又は塩水で虫抜きし、水切り後、小さく切って、油いため・塩・コショーでいただくと、おいしい味とのこと。煮てスープにするのもよしとのこと。
今年は長雨のせいか、大ぶりのものが収穫できるようで、売り子の女性たちの声
も自信にあふれています。
※後ろに控える男性たちは、いたって静かな物腰。女性陣とは対照的です。
写真は、今日8月13日、コルサコフからの帰り道で撮影したもの。
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ツーリングはサハリンの北をめざす

〔長距離走破への挑戦〕
8月12日(木)午前8時30分に、ユジノサハリンスク駅前を出発した13台のバイク。
世界60カ国以上の辺境ツーリングを実施した日本の旅行社が企画し、今回の参加者は13人の日本人で、うち1人が女性。歴戦のつわものも多数とのことで、2日後は、サハリン北端のまちオハに到着します。
無情にも、梅雨前線らしきものがユジノサハリンスク方面まで張り出す悪条件ながら、バイカーたちはクールな表情。不穏な天気と途中からの悪路に挑戦する士気が感じられました。
※初参加の稚内市職員W氏(男性)の健闘が期待されています。
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アニワの海水浴場から

〔日差しが強かった夏の海辺〕
8月8日(日)は、午後から気温25度の中、ユジノサハリンスクの南方、アニワ市の海水浴場へ出かけました。
人波や車が延々と続く浜辺には、日光浴やバーベキューを楽しむ人たちがたくさん。
一方、海水浴や貝掘りの人たちは少し。
もう採りつくされたのか、貝は見あたりませんでした。
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戦没者への慰霊

〔今まだ続く戦後〕
8月8日(日)昼のテレビ番組で、サハリン北部を訪れた日本人遺族関係者による戦没者の遺骨発掘とダビに付す様子が放映されていました。
昭和20年8月は、当時の樺太の国境線近くで大規模な戦闘が始まり、日本軍・ソ連軍共に多数の死者が出たことを伝え聞いております。
毎年、お盆を迎えた日本からの訪問団を、サハリンの関係者が温かく迎え、その協力で慰霊の旅が続いています。
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もう秋の気配が

〔ゆっくり紅葉がはじまった〕
きのう8日(日)、まちを散歩中に、一部が紅葉している樹木を見ました。
緯度の高い地域の特徴でしょうか、夜は暑さが続かず冷え込んでしまうので、このような生態になるものと考えられます。
ユジノサハリンスクは、もう夏の間に、そろそろ秋が潜んできた感じです。
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朝のスナップから

〔着飾った少女とママ〕
8月7日(土)の朝、事務所へ向かう道すがら、国境警備隊病院の横の歩道で、整った服装の親子が歩いていました。
サハリンの人たちは、おしゃれが上手で、個人所有のものはきれいに整え、大事にします。
ユジノサハリンスクは、今日も暑さが続き、最高気温は24度の予想で食中毒発生も懸念されますが、土・日曜日は、いろいろな行楽行事に出かける機会が増えます。
二人は、どこへ行くのでしょう?ちよっと、気になりました。
手に持った物から考えると、結婚式、それとも誕生会のお呼ばれではないでしょうか。
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サハリンから東京へ向かうエネルギー

〔ロシアのガスエネルギーも使いはじめた日本の家庭〕
7月31日(土)に見学した、コルサコフのプリゴロドノエ基地には、「マイナス170度までガスを冷却した液化ガス」を運ぶ大型タンカーが停泊中(写真)
この船は、砕氷能力を持ち、舩ごとに4万トンから6万トンの液化天然ガスを輸送できます。
週に2隻から3隻が宗谷海峡を渡り、年間通じて東京方面へピストン輸送中で、中東より近く海運上の障害も少ないため、コスト面も有利とのこと
このガス供給は、国を超えた巨大プロジェクトにより実現したもので、日本とロシアの経済交流に大きく寄与することでしょう。
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一瞬にして面積が増えたまち

〔地震により海が隆起したネベリスク〕
 7月31日は、サハリンを訪れた要人に随行して、雨上がりのネベリスクを訪問しました。
 この都市は、ユジノサハリンスクの西、間宮海峡を臨む海岸部にあり、日本時代は本斗と呼ばれたまち。
 3年前の地震で、まちの主要な建物が壊れた後、ロシア連邦による復興工事が続き、街並みが刷新されて見違えるほどの姿になりました。
 一方では、地震で海が隆起し、陸地が増えました。
 増加面積は、400ヘクタール以上とも言われ、現在、確認作業が続いておりますが、ネベリスク市は、この土地の活用を考えているようです。
 写真は、隆起した箇所を写したものです。車が走ったり、散歩したりすることができ、サッカーコートも置かれていますが、まだ野草は生えていません。遠くに見えているのが、ネベリスク市街です。
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語学研修の学生グループ

〔ロシア語上達をめざす若者たち〕
8月2日(月)には、サハリンのコルサコフに、稚内北星学園大学の学生10人が語学研修のため到着しました。この研修は、日露青年交流センターの事業として認められ、実現したものです。
コルサコフの港では、今年6月22日から7月8日まで、稚内で日本語を学んだコルサコフの学生グループが迎えてくれました。

青年たちは、これから17日間、ロシア語習得に励みます。
8月3日(火)早朝には、サハリンで様々な折衝を終え帰国する稚内市長(横田耕一氏)が宿舎を訪れ、激励してくれました。
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