旧日本時代展 In ネベリスク市(旧本斗市)

ネベリスク市立博物館では、〝旧日本時代展″が開催(2/2~3/3)されています。
展示品の多くは、サハリンが樺太と呼ばれていた日本統治時代、日本の一般家庭で使われていた品々です。
この展覧会の開催に当たっては、ネベリスク市内に居住する考古学愛好家シュカベニョフ・ブラジスラフさんが、所有するコレクションをお借りしたそうです。
統治する国が代わり、多くの日本時代のものが姿を消してしまった中、日本の文化に興味を持ち、その保存活動に力を入れて下さるロシア人の存在は、とても嬉しく感じます。
今年は、稚内市とネベリスク市との友好都市締結40周年に当たります。
友好都市提携の調印が行われた1972年(昭和47年)は、ロシアがソ連と呼ばれていた社会主義国の時代。
ソ連邦樹立50周年記念の式典にネベリスク市から招待を受け、稚内市長を団長とする4名の使節団がサハリンを訪問し調印したそうです。
当時は東西冷戦時代。今のように、ある程度の制約はあるものの、自由に往来ができる時代が来るとは、誰も考えてはいなかったでしょう。
今後も両市の友好関係が末永く続くことを願うばかりです。
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シュカベニョフ・ブラジスラフさんの発掘の様子
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展示品の数々
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明治・大正・昭和、歴代天皇陛下の掛け軸と浴衣
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サハリン・バレンタインロード?

2月14日は、言わずと知れた〝バレンタインデー〝
日本では、女性から男性へ、愛情の告白としてチョコレートを贈る習慣となっています。
昨年、サハリンから遠く離れたロシア西部のベルゴロド州では、「心の安全を守るため」と称して、州政府から教育機関等へ、バレンタインデーを祝うのを自粛するよう通達があったそうです(今年は無かった様ですが)。
ソ連崩壊後、ロシアでは若者を中心に、互いにプレゼントを交換したり、食事へ行ったりと、愛情を確かめ合う「恋人の日」としてバレンタインデーを祝うようになったそうです。
写真は、14日の朝、ユジノサハリンスク市内に出現した「バレンタインロード?」ですが、翌日未明から降りしきる雪のため、果敢なく消えてしまいました。
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ユジノサハリンスク北方領土返還反対集会

2月11日(土)、ユジノサハリンスク市内にある〝ポピデ プロシェジ〝(勝利の広場)では、北方領土返還反対集会が大々的に開催されました。
その影響のため、当日開催予定であった「日ロ音楽交歓コンサート2012~心の架け橋~」が、前日になって、突然、延期になってしまいました。
大変残念なことですが、大統領選挙目前ということもあり、やはり政治が優先されるのでしょうか。
当日、出演予定であった「心と心のハーモニー」(ユジノサハリンスクに居住する日本人有志十数人によって結成)では、連日、猛練習を重ねていたそうです。来月の延期開催には、大いに期待したいと思います。
写真は、今朝(2月14日)、地元TVで放送された集会の様子です。
多くの市民は政治にはあまり関心がなく、集会に合わせ開催されたサハリン出身のシンガーソングライター〝イーゴリ・ニコライエフ“のコンサートに興味があったようです(集会に行ったあるロシア人の感想)。
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posted by ブログ担当 at 16:04Comment(0)その他

ユジノサハリンスク、突然の暖気

2月6日、ユジノサハリンスク市内では、日中の気温が0℃近くまで上昇しました。
その陽気で、稚内市サハリン事務所が入居するビルの屋根から落雪があり、玄関脇に駐車してあった乗用車のフロントガラスと屋根がペシャンコに潰れてしまいました。
聞くところによると、毎年、融雪が進む時期に屋根からの落雪で命を落とす方がいるそうです。
冬、暖かい日には、上を見ながら外を歩かなければならないようです。
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