秘境と呼んでも可笑しくない、そんな所に宝台ループ線はあった。
サハリンが樺太と呼ばれていた時代、豊かな森林資源を背景に、樺太各地で数多くの製紙工場が操業していた。
一方、その頃、冬期間、流氷によって閉ざされる大泊(コルサコフ)港に代わる生産物の積出し港として、不凍港である真岡港が注目され、真岡と樺太各地とを連結する路線建設が急務となっていた。
宝台ループ線とは、豊原(ユジノサハリンスク)と真岡を結んでいた豊真線の中でも、最大の難所であった西樺太山脈越えに建設された、そんな鉄路(宝台~池ノ端)だった。
豊真線は終戦後も旧ソ連に引き継がれ利用されていたが、1994年冬の大雪によるトンネル内の崩落事故で、今ではベンスカヤ(旧奥鈴谷)~ニコライチュク(旧池ノ端)間は廃線となっている。
以前には、ホルムスクから鉄路を利用したループ線見学ツアーもあったと聞くが、今では週末にダーチャに通う市民の足として、ニコライチュクまで運行されているに過ぎない。
正に、産業遺産としての価値が高い「宝台ループ線」。
日本全国の鉄ちゃん、鉄子の皆さん。ただ単に、眠らせておくのは勿体ないとは思いませんか?
近い将来、観光鉄路としての復活を心から願うばかりです。
廃線となった今では、既にトンネル内の線路は撤去されている。
ニコライチュク駅に停車する列車と、旧手井貯水池(写真上)。
道無き道と、列車が通らないため真っ赤に錆びた線路(写真下)