街の名は松田伝十郎、間宮林蔵の樺太探検に遅れる事41年、ロシア人として初めてこの地を訪れた(1849年)ロシア軍人ネヴェリスコイに由来する。
日本統治時代には、『本斗(ホント)』と呼ばれ、稚内との間に定期航路(稚斗航路)も運航されていた。
現在はサハリン屈指の水産の街、そして石炭の街としてサハリン経済の一翼を担っています。
写真は、公務で訪れた1月21日昼頃のネベリスクの様子です。
海と小高い丘に挟まれた狭隘な土地に造られた街並み。
市街地が無ければ利尻礼文を望む稚内の観光スポット「稚内西海岸」に瓜二つ。
街の中心部バスターミナル付近の様子とバザール(露店)の様子
気温マイナス15℃の中、露店ではカチカチに凍った魚を販売。正に天然冷蔵庫のお店と云った所でしょうか。