必見!サハリンの樺太時代の建物探訪 第3弾(旧樺太庁豊原病院)

旧樺太庁豊原病院は、当時の最先端技術を用いた鉄筋コンクリート造りの建物として昭和6年(1931年)に竣工。
建築から既に80年を経過する地下1階3階建て造り。
今なお、ベッド数150を持つ現役の病院(ロシア陸軍病院)として供用されているものの、残念ながら老朽化が著しく来年には解体が予定されている。
サハリン州内でも歴史的建造物としてその保存を望む声が上がっています。
http://news.astv.ru/news/32849

住所:ユジノサハリンスク市チェーホフ通41
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2013年12月12日撮影(病院裏手のアパート10階から撮影)
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夏、暮れ泥むユジノサハリンスクの夜

気温が30℃近くまで上昇した23日。
夜になっても、なかなか気温が下がりません。
そのため、多くの市民が近くの公園、広場で夕涼み。
写真は、夜9時半頃のレーニン広場の様子です。
以前は、ビール、ウォッカを片手に、大騒ぎする若者の姿を度々見かけましたが、野外での飲酒が禁止(公園、広場、道路等の公共の場)となってからは、夜の治安も頗る改善されています。
夏の夜は、まだまだ続く。
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ホルムスク(旧真岡)探訪

サハリン第3の都市ホルムスク。
嘗ての日本統治時代には真岡と呼ばれたこの町は、1945年8月15日の終戦の日を過ぎても尚、ソ連の攻撃を受け、多くの日本人が犠牲となった悲劇の街である。
現在、ホルムスクはバム鉄道の終点ワニノとを鉄道連絡船で結ぶ港町。今年も、稚内・コルサコフ日露定期フェリーを乗り継ぎ、ヨーロッパ、アフリカ等を目指し日本の若者が大陸へと渡る大陸へのゲートウェイである。
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フェリーターミナルと鉄道連絡船「サハリン9」(写真左上)。大陸側のワニノ港まで約17時間余りで結ぶ。
日本時代の防波堤と臨海公園(写真下)。多くの市民の憩いの場となっている。
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旧王子製紙真岡工場と旧社宅(写真上)。旧社宅は今も住居に供されている。
旧真岡神社の石段と手水場(写真下)。現在、旧真岡神社跡にはサハリンの船舶会社の社屋が建っている。
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1945年8月20日、ソ連軍が真岡を攻撃。
当時、真岡郵便電信局の電話交換手として働いていた女性12人のうち、9人が青酸カリなどを用いて自決するという悲劇が。
その旧真岡郵便局跡には、現在ロシア最大手のスベル銀行が営業する(写真左上)。
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感動をありがとう! 第1回ノースアイランドラリー「札幌・稚内・サハリン5デイズ」終わる!

北海道とサハリンの二つの島を繋いだ国際ラリーが成功裏に終了(6/29~7/3)。
サハリンステージ3日目(7/2)には、6月12日に発生した暴風雨の影響により、走行不可能となる一部区間があったものの、サハリン州政府の特別な計らいで、現在車両での立ち入りが禁止となっている「山の空気」展望台までの走行が認められる等、出場者皆、大満足の様子。
また、最終日前日に行われた打ち上げパーティでは、主催者から次年度は「オハを目指す!」との大胆な発言が飛びだす等、出場者一同大いに盛り上がりました。
来年は、今年以上に多くのライダーの参加が有るよう期待したいものです。
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サハリンステージスタート前、地元テレビ局の取材に応じるNIR実行委員会代表春木氏。
同じくスタート前のミーティングの様子。
宿舎となったオホーツクコエのホテルオリエンタルでのスタートの様子。ライダーは30秒間隔でスタート。
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サハリンの大自然の中、延々と続くダート(サハリン西海岸イリンスキー~ホルムスク間)。
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ユジノサハリンスク「山の空気展望台」。眼下に広がる雲の海。その下にはユジノサハリンスクの街並み。
地元サハリンモーターサイクル協会の面々も加わり記念写真。
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