嘗ての日本統治時代には真岡と呼ばれたこの町は、1945年8月15日の終戦の日を過ぎても尚、ソ連の攻撃を受け、多くの日本人が犠牲となった悲劇の街である。
現在、ホルムスクはバム鉄道の終点ワニノとを鉄道連絡船で結ぶ港町。今年も、稚内・コルサコフ日露定期フェリーを乗り継ぎ、ヨーロッパ、アフリカ等を目指し日本の若者が大陸へと渡る大陸へのゲートウェイである。
フェリーターミナルと鉄道連絡船「サハリン9」(写真左上)。大陸側のワニノ港まで約17時間余りで結ぶ。
日本時代の防波堤と臨海公園(写真下)。多くの市民の憩いの場となっている。
旧王子製紙真岡工場と旧社宅(写真上)。旧社宅は今も住居に供されている。
旧真岡神社の石段と手水場(写真下)。現在、旧真岡神社跡にはサハリンの船舶会社の社屋が建っている。
1945年8月20日、ソ連軍が真岡を攻撃。
当時、真岡郵便電信局の電話交換手として働いていた女性12人のうち、9人が青酸カリなどを用いて自決するという悲劇が。
その旧真岡郵便局跡には、現在ロシア最大手のスベル銀行が営業する(写真左上)。