樺太時代には内淵炭鉱と呼ばれていたブイコフ炭鉱。
ユジノサハリンスクから北へ30㎞程行ったドリンスク(旧落合)から内陸へ20㎞行った所にある。
戦後、ソ連軍により施設の全てが接収され、国営企業として採炭を再開。
ペレストロイカ以降も細々ながら採掘を続けていたが、2007年に中国企業に売却された後、2011年には廃坑状態。現在はロシア人の管理人が一人常駐しているだけとなっている。
そのため、採炭時に1万人以上が暮らしていたブイコフの人口は、嘗ての日本の多くの炭鉱街同様、閉山により今はその半分の5千人が暮らすだけの、これといった産業も持たない寂れた田舎町となっている。
今も残る施設の多くが日本時代に建設されたものだ