2015年08月28日

必見! 樺太庁拓殖学校(豊北農業学校)

ユジノサハリンスクの北に隣接してある集落ノボ・アレクサンドロフスク。
日本統治時代には「小沼」と呼ばれた地である。
日露戦争終結の翌年(1906年)には、すでに小沼には農事試験場が置かれ、樺太において当時の最先端の農業・畜産業を実践する地となっていた。
そんな環境の下、1934年(昭和9年)に開校したのが樺太庁拓殖学校。後の豊北農業学校(1941年校名変遷)である。
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開校当時は、凸型をした正面の造りだったが、戦後ソ連時代に総3階建てに増築されている。
2階、3階部分にハッキリと残る増築部分との境目。
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御影石と思われる当時そのままの階段手すり。
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戦後暫らくは、農業学校の寄宿舎として供用されていたが、現在は一般のアパートになっている。
近くには奉安殿が。今は一民家の倉庫として使われているようだ。
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住所:ユジノサハリンスク市ヴォストチナヤ通11
posted by ブログ担当 at 23:25| Comment(0) | 樺太時代の建築物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月25日

旧王子製紙(樺太工業)真岡工場

ホルムスクの街外れにある巨大廃墟。
1919年9月に操業を開始した王子製紙(当初は樺太工業)真岡工場跡である。
当時の最先端技術を導入して建設された堅牢な造りは100年近く経過する今日にあっても、その一部は朽ちても尚、工場(製材所、温熱水供給施設、倉庫等)として使用されている。
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完全に廃墟となった外観と内部の様子
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今も供用されている工場棟(左上)。
朽ちた階段を登りビックリ!廃墟の中で遊ぶ子供を発見、思わず記念撮影。
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工場を見渡せる高台に、数多く残っていた王子製紙の職員住宅。
昨年秋にその多くが取り壊され、現存するのは写真の2棟のみ。
この2棟もいつ解体されるとも分らない。
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posted by ブログ担当 at 15:13| Comment(0) | 樺太時代の建築物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月21日

超必見! 旧樺太庁豊原病院(第441軍病院)

今日は、昨年7月28日に本ブログにてご紹介した旧樺太庁豊原病院を再度ご紹介。
と云うのも、先日、幸運にも病院内の撮影に成功!
「その全貌についてお伝えします」と云いたい所ですが、曲がりなりにもここは軍施設。
ほんの触りだけをご紹介。
ご紹介できる範囲に限りがある事、ご容赦下さいネ。
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正面玄関を入って直ぐに、当時の内玄関ドアらしきアンティークな扉(上左)。
当時のエレベーター?(上右)
当時の面影そのままの廊下の様子。(左右下)
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posted by ブログ担当 at 11:24| Comment(1) | 樺太時代の建築物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月17日

サハリン発! 永遠に解かれない愛を願って

旧樺太神社参道の欄干に所狭し掛けられた数々の南京錠。
愛する恋人達や新婚さんが『永遠に解かれることのない愛』を願って行う願掛け。
ヨーロッパでは至ってポピュラーな願掛けで、一般的には橋の欄干に鍵をかけ、そのカギを川に捨てるのが習わし。
ですが、ロシアでは結婚して3年以内に3割が離婚。そして最終的には5割以上が離婚するらしい。
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統計上、これら半数は効き目が無いことになる。ロシアの現実は厳しい!
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posted by ブログ担当 at 17:08| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月13日

隠れた観光スポット! ユジノサハリンスクの「もっきりや」?

地ビールが超美味なサハリン。
ユジノサハリンスクにも、市内各所にビール工房が点在し、造りたてのビールを堪能できる。
中でも一押しのお店が、今日ご紹介の「コーロス」(朝8時から夜9時まで営業)。
暑い夏の最中、グイッと喉を潤したい方は一度立ち寄ってみては如何でしょうか?

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場所は、メインストリートのサハリンスカヤ通と並行する裏通(カルパトスカヤ通)。
住所:ユジノサハリンスク市サハリンスカヤ通113(お勧め店舗は工場裏手のカルパトスカヤ通側)
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20種類程の造りたての地ビールが、1杯(500ml)が50ルーブル程で飲める。
店内には各種つまみ、人気のピロシキも販売されていて、それらを肴に飲むビールも乙なもの。
嬉しいことに、店内にはテーブル・椅子が設置されている。
注:店舗への出入り口は左右2ヶ所別々に有り。
posted by ブログ担当 at 08:19| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月09日

サハリン ホルムスク(旧真岡)の街並み

サハリンの西海岸の港町ホルムスク。
日本統治時代には「真岡」と呼ばれたこの街は、昭和20年8月15日(日本でいう終戦)以降もソ連軍の侵攻(8月20日)を受け、「九人の乙女」が自決した真岡郵便電信局事件(北のひめゆり事件とも呼ばれる)が起きたのを始め、日本本土最後の地上戦の舞台となった悲劇の町である。
しかし、嘗ての悲劇の町も今はサハリンと大陸とを結ぶ海のゲートウエイ。
そんなホルムスクの町をチョッとご紹介。
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嘗ての真岡郵便電信局は、ロシア最大手スベルバンクホルムスク支店(写真上右)
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港の門(出入り口?)と野外市場の様子(写真上)
海浜公園で出会った超気さくなロシアの女子高校生(写真下)
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真岡神社の遺構。現在、ここには海運会社が建っている。
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1945年8月20日から23日にかけ、ソ連軍との激しい戦いが繰り広げられた旧熊笹峠。
峠からホルムスクの町が見える。
ソ連の戦勝記念碑の横には日本軍の塹壕跡も残っている。
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posted by ブログ担当 at 23:52| Comment(2) | 街/その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする