「銀河鉄道の夜」白鳥の停車場!サハリン・スタロドゥブスコエ

大正12(1923)年8月4日、小説「銀河鉄道の夜」の作者、宮沢賢治は当時の日本最北端の駅であった栄浜駅(樺太東線)に降り立った。
賢治の樺太訪問の目的は、当時教師をしていた農学校(現花巻農業高等学校)の教え子の就職を、知り合いに依頼するという事だったようだが、本当の目的は開業したばかりの稚泊航路(大正12年5月5日開業)を乗り継ぎ、前年に亡くなった最愛の妹トシの魂を探し追い求める傷心の旅だったとも云われている。
写真は、92年前に賢治が降り立った栄浜駅の鉄路跡。
ご覧の通り、哀愁漂う鉄路(駅)跡を、戦後70年を過ぎた今でも微かに判別(枕木跡)することができる。
宮沢賢治ファンの皆様、そして日本全国の“てっちゃん・てつこ”の皆様、是非一度、栄浜(現スタロドゥブスコエ)を訪れてみては如何でしょうか。
また、この鉄路跡の目と鼻の先には、コハク海岸と呼ばれる風光明媚なオホーツク海が広がっていて、運が良ければものの5分程で琥珀を簡単に採取する事もできますよ。
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旧栄浜駅跡は、スタロドゥブスコエ市街を大きく左に90°曲がる道の角を起点に、北方面へ数百メートル進んだ左手側(内陸側)にある。
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道を外れ内陸側へ進むとハマナスが鉄路跡を覆い隠すように自生している。
一方、道を挟んで海岸側には当時の石炭庫に続く鉄路跡を僅かに確認できる。
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琥珀海岸へは、90°曲がる道を曲がらずに直進。
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この日、1時間ほどで数個の琥珀を採取。

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