日本統治時代には「小沼」と呼ばれた地である。
日露戦争終結の翌年(1906年)には、すでに小沼には農事試験場が置かれ、樺太において当時の最先端の農業・畜産業を実践する地となっていた。
そんな環境の下、1934年(昭和9年)に開校したのが樺太庁拓殖学校。後の豊北農業学校(1941年校名変遷)である。
開校当時は、凸型をした正面の造りだったが、戦後ソ連時代に総3階建てに増築されている。
2階、3階部分にハッキリと残る増築部分との境目。
御影石と思われる当時そのままの階段手すり。
戦後暫らくは、農業学校の寄宿舎として供用されていたが、現在は一般のアパートになっている。
近くには奉安殿が。今は一民家の倉庫として使われているようだ。
住所:ユジノサハリンスク市ヴォストチナヤ通11
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