ユジノサハリンスクのロシア正教「復活祭」

4月15日の日曜日は、十字架にかけられ死んだキリストが3日後に復活したことを祝う復活祭(パスハ)の日でした。
復活祭は毎年同じ日ではなく、春分の日の後の、最初の満月の、次の日曜日に行われます。因みに、来年は今年よりも20日ほど遅い5月5日です。
ロシア正教にとって復活祭は数ある祭の中でも最も重要かつ特別な祭とのことです。
クリーチと呼ばれるお菓子と、イースターエッグと呼ばれる艶やかに色付けされたゆで卵で祝う習慣です。
「キリストが復活するなら卵も赤くなるはずだ」と言って、キリストの復活を信じないローマ皇帝クラウディウスへ、キリストの復活を知らせるため、ほんとうに赤くなった卵を献上したらしいことに由来するそうです。

復活祭前日、正教会敷地内に設置された露店ではクリーチが販売されている。
(500gのLサイズが95/ルーブル、日本円で約260円。Mサイズ250g・60ルーブル。Sサイズ100g・30ルーブル)
また、協会地下にある売店でもイースターエッグの飾りつけ用プリントが数多く販売されている。
conv0004.jpg

左上:14日午後、クリーチを成聖するための儀式が行われている。右上:14日午後11時過ぎ、既に多くの信者が協会に集まっている。
15日午前0時、復活祭の儀式が始まった。
conv0011.jpg

ロシア正教洗礼祭

毎年1月19日、ロシア全土でロシア正教による洗礼祭が行われます。
午前0時、ユジノサハリンスクにあるサハリン・クリル・ロシア正教会でも、洗礼祭の儀式が荘厳かつ厳粛に始まりました。
conv0001.jpg

午前11時、ガガーリン公園の池では、信者による恒例の身体を清める斎戒沐浴が行われました。
因みに、外気温は氷点下13度です。
conv0006.jpg

午後0時過ぎ、聖水を求める多くの信者が、正教会の地下室を訪れています。
また、1階大聖堂では生後間もない乳飲み子達が、洗礼の儀式を受けていました。
conv0008.jpg

日本時代の陶器展

〔当時を偲ばせる樺太時代の陶芸品〕
5月4日(水)に、知人の紹介で訪問した、ユジノサハリンスク市内のデパート”ドム・タルゴーブリ”1階の特設会場は、樺太時代の陶器が、ところ狭しと並んでいて、圧巻でした。
伊万里焼を含む、18世紀・19世紀に製造された2,500点もの豊富な展示で、稀少価値を感じるものも、相当数ありました。
主催者の有限会社”サンジコ”社長から話を伺うと、これらの品は、同社長のコレクションで非売品。60パーセント以上が、サハリンの各地から譲り受けたもの。それ以外は、社長が自ら発掘したもの5パーセント、残りは、サハリンの人たちから無償提供されたとのこと。 
デパートの外には、「樺太時代の日本文化遺産展」と記された横断幕が掲げられ、4月から9月まで開催しているとのことです。
画像 083.jpg

画像 042.jpg

画像 026.jpg

画像 070.jpg

日本舞踊体験

〔日本語会話クラブでのひととき〕
11月18日(木)に、ユジノサハリンスクの”サヒンセンター”内、サハリン日本センターで行われた第16回日本語会話クラブで、初めて披露された日本舞踊。
サハリンを訪れている”師匠”に習って、参加者は「さくらさくら」の踊りを初体験。
そのあと、和服の着用体験をするロシア人女性もいて大盛況。さらに、お茶・菓子を楽しみながら、舞踊の扇子や写真集を交え、日本文化をテーマに会話が弾みました。
画像 022.jpg

画像 033.jpg

この行事は、国立サハリン総合大学、ユジノサハリンスク法律経済情報大学の日本語学科勤務の日本人教師の方々が主催し、毎月1回、一般ロシア人や在留邦人に案内して行われます。来月17回目は、書道体験の予定です。
画像 031.jpg

ピアノ独奏コンサート

〔モスクワ在住ピアニスト、ミハイル・ツルーシチキン氏によるコンサート〕
11月3日(水)にユジノサハリンスク第一番音楽学校ホールで開催された、ピアノコンサート。招待を受け出席しました。
このコンサートは、ミハイル氏と親交のあるユジノサハリンスク第一番音楽学校長の計らいで実現したもの。
演奏では、短編・長編織り交ぜて、リストの曲(ソナタ)4曲を聞かせてくれました。
画像 026.jpg

閉幕後、ミハイル氏と懇談しました。同氏は、リストの曲を専門に演奏されているとのこと。47歳ですがとても若く感じられ、リストの曲に対する情熱を感じました。来日経験はなく、機会があれば日本でも演奏してみたいと話してくれました。
写真は、ミハイル氏と、花束を贈るユジノサハリンスク第一番音楽学校長。
画像 031.jpg

サハリンのチェーホフ劇場

〔チェーホフ劇場は開業80年〕
10月22日にチェーホフ劇場で、同劇場の開業80周年記念ドラマが上演されました。
サハリンには、チェーホフ劇場がありますが、そのはじまりは、1930年に当時の州都アレクサンドロフスク・サハリンスキーで州立劇場として開業しました。(アレクサンドロフスク・サハリンスキーは、帝政ロシア末期の著名作家アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフが、はじめてサハリンに上陸した地で、現在もチェーホフ博物館で当時の資料などを展示しています。)
その後、同劇場は、州都に制定されたユジノサハリンスクへ1946年に移転し、現在に至っています。
この日のドラマは、歴史の小シーンを、主な時代ごとにコント劇で表現しためずらしい構成で、日本時代のシーンもあり、満員の観客も満足したようです。出演は、国立サハリン総合大学が運営する演劇養成学校の学生たちでした。
このチェーホフ劇場は、来年、札幌でチェーホフ作品に基づく劇「サハリン島」を上演予定です。
画像 029.jpg

終幕後のカーテンコールでは、観客からたくさんの花束が、出演者に贈られました。
画像 069.jpg

当日は、1階ホールの壁際に、これまでのドラマで使用した歴史的な資料も、特別に展示されました。アンティーク調の展示品の中で、日本の「観音様」を想わせる、鮮やかな陶器像が目を引きました。
画像 071.jpg

この後、2階ホールで開かれた記念レセプションでは、チェーホフ劇場所属のジャズ・オーケストラ”ヴレーミャ・ジャザ”による演奏があり、歌手アクシェンツェワ・エレーナさんの歌声が響いていました。
画像 082.jpg

日本との文化交流

〔北海道演劇財団付属劇団がサハリンで上演〕
9月28日(火)夕方に、ユジノサハリンスクのチェーホフ劇場で観賞したドラマ「秋のソナチネ」。
北海道新聞社ユジノサハリンスク支局長の記事情報では、帝政ロシア末期の著名作家アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ生誕150年記念事業「チェーホフ演劇祭」にサハリン州が招待し、9月27日と28日にサハリンでは初めて上演されたドラマ。

札幌のそば店での対話をテーマとした現代劇は、高齢化を迎えた日本の複雑な家族関係や孤独な心の葛藤を細やかに表現しており、高齢者の一人住まいが一般的なロシア社会とも共通した課題を含み、チェーホフ作品に通じる心情を提示しているのではないかと思いました。
その中で、劇の要所に流れた土田英順氏のチェロは、心を振るわす音色で観客を別世界へいざなう臨場感がありました。

チェーホフ劇場館長のお話では、この次は、来年2011年に同劇場団員を札幌へ派遣し、チェーホフ作品の上演に努めるとのことです。
写真は、そば店を営む家族と来店した客を交えた会話場面
画像 020.jpg

写真は、一人住まいの部屋で看取る者なく逝った馴染みの高齢女性を想う終幕場面
画像 027.jpg

稚内国際文化交流協議会主催「友好の架け橋コンサート」

〔サハリンの友好都市二市でコンサート開催〕
9月1日にネベリスクで新設の”子ども芸術学校”、9月2日にユジノサハリンスクの”サハリン州立図書館”のホールで、稚内国際文化交流協議会主催の「友好の架け橋コンサート」が開かれ、稚内在住のギターソリスト”兵頭ニーナ氏”が、弾き語りで日本の歌とロシアの歌合わせて20曲あまりを聞かせてくれました。

 中でも、同氏のオリジナル曲「ふるさと稚内」など数曲は、チェーホフ劇場所属バンド”ヴレーミャ・ジャザ”団長キンジーノフ氏が、シンセサイザー伴奏で友情出演し、深みのある歌声が響きました。

それぞれ、ネベリスク市及びチェーホフ劇場の全面的な協力を得て開催することができ、来場された方々も手拍子を合わせたり、「カチューシャ」などを歌ったりして、記念すべき交流の場となりました。

写真は、ネベリスクでの開催風景です。
画像 054.jpg

ニーナ氏とキンジーノフ氏の息がピッタリ合った合奏でした。
画像 093.jpg

写真は、ユジノサハリンスクでの開催風景です。
画像 027.jpg

観光馬車

〔大動物との触れ合い〕
休日近くになると、ユジノサハリンスク市のレーニン広場に観光馬車が出現し、市内の家族連れに人気で、料金は周囲ひとめぐり100ルーブルほど。
ロシアの昔、馬は賢さ・勤勉の象徴とされ、仲間として扱ったので、馬肉はよほどのことがない限り食べなかったそうです。馬肉を出す料理店は今もありません。
そういえば、動物に親愛を感じるこの国の人たちは、野生の猛獣に出会っても驚かず、気づかぬふりをしてやり過ごすことができるそうです。
ユジノサハリンスク市内の北、ルガボエ町にある乗馬クラブには、夏休み中に通う子が多くなっています。
画像 223.jpg

ネベリスク「まちの日」の祭典から

〔第64回を迎えた「まちの日」〕
6月5日(土)は、ネベリスク市が挙行した祭典へ、稚内市長のメッセージをお伝えに行きました。ロシアのどのまちでも、まちが始まった日を記念し、毎年お祝いします。
当日は、肌寒い天候にもかかわらず、たくさんの市民が集まり、露店もあってにぎやかでした。
祭典では、アンサンブル6団体、オーケストラ1団体、合唱3団体がそれぞれのテーマ曲や踊りを、総じて2時間近く披露しました。
地震の影響で人口が停滞気味ながら、芸術学校の運営に努め、こども達(特徴:女子が多いこと)の感性を磨いているとのこと。とても感心させられます。
写真は、”アンサンブル団体の踊り”一場面です。
画像 043.jpg

そのあとで、壇上に今年初めて登場した”ぬいぐるみ”。
どんな動物なの?
それは、ネベリスクのまちのシンボルになっている”トド”たちでした。
サハリンでは、とても人気のある動物です。
画像 136.jpg

土曜日の2つの行事から

〔駆け足で楽しく取材・撮影〕
①〔戦勝記念60周年・サハリンスポーツチャンピオン発表式典〕
 5月15日(土)午後2時30分からユジノサハリンスク駅前の鉄道文化会館大ホールで開催されました。
 サハリン州各地のスポーツ団体が一同に会し、優秀団体・個人が表彰されました。中でも、ユジノサハリンスクのほか、ホルムスク、コルサコフ、ポロナイスクの団体が多数受賞しました。
写真は、バスケットボール団体の表彰場面。一緒に登壇された指導者達も、とても立派な体格です。
画像 067.jpg

式典合間で披露されたユジノサハリンスクのアンサンブル“クラブ・イースカリキ”の踊りです。
このグループは6月に稚内へやってきます。
画像 058.jpg

②〔日ロ音楽交歓コンサート〕
 同日の午後5時からユジノサハリンスクのサハリン州立図書館ホールで開催されました。ユジノサハリンスクに駐在する日本人諸氏が衣装を凝らし5ステージ出演したほか、ノグリキなど各地から駆けつけたロシア人グループが18ステージをこなし、中には上手な日本語で唄う方がいるなど、多彩な内容で楽しく盛り上がりました。
この写真は、稚内でもお馴染みのコルサコフのアンサンブル“バーブシキ・ピェースニャ”です。
このグループも6月に稚内へやってきます。
画像 128.jpg

“ロシア民族楽器アンサンブル”の子たちによる唄と踊り。しぐさも衣装も、とても可愛らしかったです。
画像 147.jpg

こども音楽学校コンサートから

〔才能教育の発表会〕
5月13日(木)夕方に州立美術館ホールで開かれた「ユジノサハリンスク市第1番こども音楽学校」コンサートです。
ポップス、ジャズ、バラード、民族音楽など、いろいろな唄を聞かせてくれました。
この学校のグループも、6月下旬の稚内公演にやってきます。
写真は、中学校年齢の子達3人の合唱場面です。ポップスを唄いました。
画像 010.jpg

年長のグループは、英語で米国のバラードを唄いました。
画像 026.jpg

こどもアンサンブルグループの踊り

〔州立図書館ホールでのこどもコンサートから〕
5月9日戦勝記念日の行事がはじまっています
今日は、連絡をいただいて日本人でただ一人出席し写真を撮りました
昼食会の観客席でスクリーンに戦時の映像が流れる中、客席の高齢の方たちは記念品をもらい互いに抱き合って笑顔が輝いていました(近くの人に、どうして女のひとばかり座っているの?と聞くと、返事は「だって夫はもういないの」。戦没者の遺族のようでした。)
この合間に子どもたちは、衣装を取り替えながら、いろいろな踊りや演奏に出演
最期にバレエの華麗なおどりで幕となりました
もうじき稚内のコンサートに、このグループ”クラブ・イースカリキ(才能ひらめき)”もやってきます
画像 088.jpg

美しいが「パスハ」って何だろと思いつつ購入しましたが

〔”復活祭”を祝う卵の飾りでした〕
ユジノ市内のスーパーマーケットで、きれいな飾りと思い「パスハ」の意味を知らずに購入した品。
事務所の通訳の方に見せると、「日付は不明だが4月始めの”イースター祭”で贈る”ゆで卵”をピッタリ包める飾り」とのこと。
ネットの「ウィキペディア」解説によると、この祭りをロシア正教会では「パスハ(復活大祭)」と呼ぶことが多く、今年は4月4日に行われるとありました。
画像 040.jpg

浜と森がもたらす芸術

〔素材を生かしたアート〕
今年1月にコルサコフ地区・レスノエ村を訪ねた際に、オホーツク海への丘にあるホテル内で見かけたアートです。
海からのイメージや樹木のぬくもりが伝わってくるようです。
マネージャーの女性の方が、地元の豊富な素材を使い制作しています。
画像 041.jpg

画像 040.jpg