6月12日はロシアの日

6月12日は「ロシアの日」。日本でいう建国記念日(?)に当たります。 1990年、ロシア共和国がソビエト連邦に対し、主権(独立)を宣言した日です。 ここユジノサハリンスク市ても、各種記念行事が開催されました。
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ホルムスク、初冬の釣り人達

休日を利用し、久しぶりにホルムスクを訪問。
防波堤には「チカ」狙いの多くの釣り人が。
「チカ」は北海道にも数多く生息するサケ目キュウリウオ科ワカサギ属の小魚。
味がワカサギにソックリで、てんぷら、フライが美味。
サハリンの人たちはどうやって食べるのかなぁ?
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日本統治時代の防波堤は今も健在。

サハリン ホルムスク(旧真岡)の街並み

サハリンの西海岸の港町ホルムスク。
日本統治時代には「真岡」と呼ばれたこの街は、昭和20年8月15日(日本でいう終戦)以降もソ連軍の侵攻(8月20日)を受け、「九人の乙女」が自決した真岡郵便電信局事件(北のひめゆり事件とも呼ばれる)が起きたのを始め、日本本土最後の地上戦の舞台となった悲劇の町である。
しかし、嘗ての悲劇の町も今はサハリンと大陸とを結ぶ海のゲートウエイ。
そんなホルムスクの町をチョッとご紹介。
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嘗ての真岡郵便電信局は、ロシア最大手スベルバンクホルムスク支店(写真上右)
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港の門(出入り口?)と野外市場の様子(写真上)
海浜公園で出会った超気さくなロシアの女子高校生(写真下)
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真岡神社の遺構。現在、ここには海運会社が建っている。
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1945年8月20日から23日にかけ、ソ連軍との激しい戦いが繰り広げられた旧熊笹峠。
峠からホルムスクの町が見える。
ソ連の戦勝記念碑の横には日本軍の塹壕跡も残っている。
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ホルムスク(旧真岡)探訪

サハリン第3の都市ホルムスク。
嘗ての日本統治時代には真岡と呼ばれたこの町は、1945年8月15日の終戦の日を過ぎても尚、ソ連の攻撃を受け、多くの日本人が犠牲となった悲劇の街である。
現在、ホルムスクはバム鉄道の終点ワニノとを鉄道連絡船で結ぶ港町。今年も、稚内・コルサコフ日露定期フェリーを乗り継ぎ、ヨーロッパ、アフリカ等を目指し日本の若者が大陸へと渡る大陸へのゲートウェイである。
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フェリーターミナルと鉄道連絡船「サハリン9」(写真左上)。大陸側のワニノ港まで約17時間余りで結ぶ。
日本時代の防波堤と臨海公園(写真下)。多くの市民の憩いの場となっている。
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旧王子製紙真岡工場と旧社宅(写真上)。旧社宅は今も住居に供されている。
旧真岡神社の石段と手水場(写真下)。現在、旧真岡神社跡にはサハリンの船舶会社の社屋が建っている。
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1945年8月20日、ソ連軍が真岡を攻撃。
当時、真岡郵便電信局の電話交換手として働いていた女性12人のうち、9人が青酸カリなどを用いて自決するという悲劇が。
その旧真岡郵便局跡には、現在ロシア最大手のスベル銀行が営業する(写真左上)。
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