旧王子製紙(樺太工業)真岡工場

ホルムスクの街外れにある巨大廃墟。
1919年9月に操業を開始した王子製紙(当初は樺太工業)真岡工場跡である。
当時の最先端技術を導入して建設された堅牢な造りは100年近く経過する今日にあっても、その一部は朽ちても尚、工場(製材所、温熱水供給施設、倉庫等)として使用されている。
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完全に廃墟となった外観と内部の様子
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今も供用されている工場棟(左上)。
朽ちた階段を登りビックリ!廃墟の中で遊ぶ子供を発見、思わず記念撮影。
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工場を見渡せる高台に、数多く残っていた王子製紙の職員住宅。
昨年秋にその多くが取り壊され、現存するのは写真の2棟のみ。
この2棟もいつ解体されるとも分らない。
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超必見! 旧樺太庁豊原病院(第441軍病院)

今日は、昨年7月28日に本ブログにてご紹介した旧樺太庁豊原病院を再度ご紹介。
と云うのも、先日、幸運にも病院内の撮影に成功!
「その全貌についてお伝えします」と云いたい所ですが、曲がりなりにもここは軍施設。
ほんの触りだけをご紹介。
ご紹介できる範囲に限りがある事、ご容赦下さいネ。
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正面玄関を入って直ぐに、当時の内玄関ドアらしきアンティークな扉(上左)。
当時のエレベーター?(上右)
当時の面影そのままの廊下の様子。(左右下)
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サハリン発! 永遠に解かれない愛を願って

旧樺太神社参道の欄干に所狭し掛けられた数々の南京錠。
愛する恋人達や新婚さんが『永遠に解かれることのない愛』を願って行う願掛け。
ヨーロッパでは至ってポピュラーな願掛けで、一般的には橋の欄干に鍵をかけ、そのカギを川に捨てるのが習わし。
ですが、ロシアでは結婚して3年以内に3割が離婚。そして最終的には5割以上が離婚するらしい。
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統計上、これら半数は効き目が無いことになる。ロシアの現実は厳しい!
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隠れた観光スポット! ユジノサハリンスクの「もっきりや」?

地ビールが超美味なサハリン。
ユジノサハリンスクにも、市内各所にビール工房が点在し、造りたてのビールを堪能できる。
中でも一押しのお店が、今日ご紹介の「コーロス」(朝8時から夜9時まで営業)。
暑い夏の最中、グイッと喉を潤したい方は一度立ち寄ってみては如何でしょうか?

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場所は、メインストリートのサハリンスカヤ通と並行する裏通(カルパトスカヤ通)。
住所:ユジノサハリンスク市サハリンスカヤ通113(お勧め店舗は工場裏手のカルパトスカヤ通側)
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20種類程の造りたての地ビールが、1杯(500ml)が50ルーブル程で飲める。
店内には各種つまみ、人気のピロシキも販売されていて、それらを肴に飲むビールも乙なもの。
嬉しいことに、店内にはテーブル・椅子が設置されている。
注:店舗への出入り口は左右2ヶ所別々に有り。
posted by ブログ担当 at 08:19Comment(0)その他

サハリン ホルムスク(旧真岡)の街並み

サハリンの西海岸の港町ホルムスク。
日本統治時代には「真岡」と呼ばれたこの街は、昭和20年8月15日(日本でいう終戦)以降もソ連軍の侵攻(8月20日)を受け、「九人の乙女」が自決した真岡郵便電信局事件(北のひめゆり事件とも呼ばれる)が起きたのを始め、日本本土最後の地上戦の舞台となった悲劇の町である。
しかし、嘗ての悲劇の町も今はサハリンと大陸とを結ぶ海のゲートウエイ。
そんなホルムスクの町をチョッとご紹介。
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嘗ての真岡郵便電信局は、ロシア最大手スベルバンクホルムスク支店(写真上右)
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港の門(出入り口?)と野外市場の様子(写真上)
海浜公園で出会った超気さくなロシアの女子高校生(写真下)
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真岡神社の遺構。現在、ここには海運会社が建っている。
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1945年8月20日から23日にかけ、ソ連軍との激しい戦いが繰り広げられた旧熊笹峠。
峠からホルムスクの町が見える。
ソ連の戦勝記念碑の横には日本軍の塹壕跡も残っている。
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オフローダー達の聖地 サハリン! 第2回ノースアイランドラリー&第1回ノースアイランドツアー

7月2日から8日までの日程で開催された「North Islands Rally 2015(OXA 1000 mile adventure ride)」。
全行程、凍える冷たい雨そして悪路との戦いでしたが、最後は皆笑顔でのゴール。
帰国前日の宿舎となったガガーリンホテルでの打ち上げも大盛況。翌年度の開催が待ち望まれるとことです。
一方、女性が多数参加した「North Islands Tour×nomadica」、7月7日から10日までの殆どの行程が抜けるような晴天続き。
殆どの方がサハリン初体験でしたが、サハリンの大自然を充分に満喫できたことでしょう。
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ラリーは連日の雨、雨、雨。
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ノグリキからオハにかけて悪路が続く。
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一方、ツアーはピーカン晴れ!
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最終日。帰路、コルサコフへ向かう。
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「銀河鉄道の夜」白鳥の停車場!サハリン・スタロドゥブスコエ

大正12(1923)年8月4日、小説「銀河鉄道の夜」の作者、宮沢賢治は当時の日本最北端の駅であった栄浜駅(樺太東線)に降り立った。
賢治の樺太訪問の目的は、当時教師をしていた農学校(現花巻農業高等学校)の教え子の就職を、知り合いに依頼するという事だったようだが、本当の目的は開業したばかりの稚泊航路(大正12年5月5日開業)を乗り継ぎ、前年に亡くなった最愛の妹トシの魂を探し追い求める傷心の旅だったとも云われている。
写真は、92年前に賢治が降り立った栄浜駅の鉄路跡。
ご覧の通り、哀愁漂う鉄路(駅)跡を、戦後70年を過ぎた今でも微かに判別(枕木跡)することができる。
宮沢賢治ファンの皆様、そして日本全国の“てっちゃん・てつこ”の皆様、是非一度、栄浜(現スタロドゥブスコエ)を訪れてみては如何でしょうか。
また、この鉄路跡の目と鼻の先には、コハク海岸と呼ばれる風光明媚なオホーツク海が広がっていて、運が良ければものの5分程で琥珀を簡単に採取する事もできますよ。
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旧栄浜駅跡は、スタロドゥブスコエ市街を大きく左に90°曲がる道の角を起点に、北方面へ数百メートル進んだ左手側(内陸側)にある。
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道を外れ内陸側へ進むとハマナスが鉄路跡を覆い隠すように自生している。
一方、道を挟んで海岸側には当時の石炭庫に続く鉄路跡を僅かに確認できる。
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琥珀海岸へは、90°曲がる道を曲がらずに直進。
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この日、1時間ほどで数個の琥珀を採取。

夏の予感! ユジノサハリンスク

最高気温が10℃前後の肌寒い日が続いていたユジノサハリンスク。
一転、今日は今年一番、20℃超えの汗ばむ陽気(予報では23℃)。
駅前にあるレーニン広場の噴水池では子供たちが水遊び。
街行く人の装いもチラホラ夏模様。
今日のビールは美味いかな?
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今、真っ只中! ロシア、卒業式の季節

今、正に卒業シーズン真っ只中のロシア!
今日、ここユジノサハリンスクでも市内の学校一斉に卒業式が行われた。
写真は、ユジノサハリンスク第1番学校の9年生の終了式(日本の中学卒業に相当)。
9年終了生は、今月末と来月上旬に実施される2度の進級試験をうけ、10年生に進級することになるとの事だが、結果によっては留年することもあるそうだ。
一方、大学受験は11年卒業生(日本の高校相当は2か年)が対象。
全国一斉の共通試験(日本のセンター試験相当)の結果により、進学校を決定するそうです(ロシアではめまぐるしく制度が変更になっているとの事)。
それにしても、ロシアの夏休みは6月から8月までの3か月間。うらやましい限りです。
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posted by ブログ担当 at 14:42Comment(0)その他

もうすぐ満開? ユジノサハリンスクの桜

ぽかぽか陽気だった12日、桜が開花。
一転、13日からは肌寒い日が連日続いています。
そのため、街中の桜は5分咲きから7分咲き。
今週の土日には、満開になるのかなぁ?
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2015年 ユジノサハリンスクの桜開花宣言!

ここ数日の陽気に誘われ、昨日12日にはユジノサハリンスクでも桜が開花。
稚内に遅れる事九日、昨年に比べ一日遅れでの開花です。
ですが一転、予報では今日から気温5℃前後の雨降る日が続きそう。
ユジノサハリンスクの本格的な春はまだまだ先のようです。
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今日13日午後には雨から雪に。おぉ~寒っ・・・。
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サハリンの対ドイツ戦勝70周年記念パレード

モスクワ赤の広場での開催に先駆け、ここユジノサハリンスクで対ドイツ戦勝70周年記念パレードが盛大に開催され、会場となったスラブ広場とゴーリカバァ通沿道には多くの市民が集まった。
それにしても、日本では想像を絶する盛り上がり!
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posted by ブログ担当 at 09:56Comment(0)その他

ユジノサハリンスクの春の大掃除 スボートニク

毎年、レーニンの誕生日(4月22日)前後の土曜日に行われる春の大掃除「スボートニク」
今年は先週26日がその日。
そもそもの始まりは、ソ連時代の1920年頃に始まった土曜日に行う勤労奉仕。
ここ、ユジノサハリンスクでも多くの市民が箒を片手に、通り周辺の清掃に余念が有りません。
これで埃っぽい街中も少しは綺麗になるのでしょうか。
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メーデーの準備 ユジノサハリンスク

5月1日は言わずと知れた国際的な労働者の祭典メーデー。
そして、9日は対ドイツ戦勝記念日。
ユジノサハリンスク市内でも、その準備が始まったようです。
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posted by ブログ担当 at 15:48Comment(0)その他

ユジノサハリンスクの4月 残雪と埃舞う春

長らくの帰国、久しぶりでの更新です。
冬真っ只中の2月末の帰国から早2ヶ月。
北国サハリンもすっかり春模様。
ですが、冬の間滑り止めに散布した土が春風に吹かれ街中は埃だらけ。
清掃が追いつかない日々が続いています。
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