サハリンは大陸へのゲートウェイ(ユーラシア大陸への渡り方 2014年8月)

一昨年程前から、サハリンへの旅のついでに当事務所を訪問して下さるライダーの方々の数が激増しています。その多くは『アムールスカヤ通の窓から』のツーリング情報を見て下さっているライダーの方々で、旅の情報交換が主な目的です。
また、今年に入ってからは、サハリンを経由しヨーロッパ、アフリカ、世界一周を目指す日本の若いライダーを始め、大陸からサハリンを経由して日本へ渡る海外のライダー達もそれぞれの情報収集のため立ち寄って下さっています。
そんな彼らに触発され、遂に8月下旬、大陸へのツーリングを敢行(ハバロフスクまでの道路取材)。
悪戦苦闘のフェリー(ワニノ~ホルムスク間)の乗船手続を始め、最新のハバロフスクまでの道路状況を数回に分けてお伝えします。

ホルムスク~ワニノ間(270km)を19時間程で結ぶ連絡船サハリン8号、9号。
その運航方式は定期便であるにも関わらす運行日程は不規則で、荷物が集まり次第出航するというもの。
そのため、大陸へ渡るには先ず事前に運航会社である「ダリ・トランス・サービス(DTS社)」へ電話または直接訪問し、乗船予約とチケット購入の後、出航予定時刻の2時間程前までには乗船手続を終える必要がある。
ただし、出航予定時刻は前述の通り不規則で丸1日以上待たされることも有り、また出航時刻が予定より数時間遅れることもざらに有るため、繰り返しになりますがサハリンから大陸へ渡る際にはユジノサハリンスクにあるDTS本社で出航予定時間の確認と事前のチケット購入を是非ともお勧めする。
因みに、この度の取材旅行の復路(ワニホ発ホルムスク着)では、乗船手続後フェリー横で10時間程待たされることになった。

一連の乗船手続き(ホルムスク発ワニノ着)は次の通り。
1.出航日時の確認とチケット購入(DTS社本社)。
住所:ユジノサハリンスク市アムールスカヤ通62 
TEL:7-(4242)-72-58-93 FAX:42-44-00
E-mail:daltransservice@sakhalin.ru
https://www.daltrans.net/
2.乗船手続(DTS社ホルムスク支店)。出航予定時刻の2時間前までに
3.港内立ち入り手続き(ホルムスク港湾通行許可局)。
4.乗船準備(港内出入り口に集合)
5.乗船

DTS本社(2階)が入居するビル。因みに、稚内市サハリン事務所はここの裏隣りのビルに入居。
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DTSホルムスク支店(2階)が入居する建物。
住所:ホルムスク市カテルナヤ通1 
TEL:7-(42433)-2-00-79 FAX:6-69-83
E-mail:kholmsk@daltrans.ru
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港湾通行許可局窓口(フェリーターミナル1階)と、港内出入り口(カテルナヤ通の突き当り)
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必見!サハリンの樺太時代の建物探訪 第8弾(旧樺太製糖豊原工場)

写真は、1936(昭和11)年に建設された三角屋根が特徴的な旧樺太製糖豊原工場。
現在もチョコレート菓子等を生産するサハリン唯一の菓子工場として稼働している。
驚くことに、瓜二つの工場が北海道士別市に実在(日甜士別製糖所)しているとの事(2013年12月1日、北海道新聞朝刊)。
道新の記事によると、この二つの工場が瓜二つなのは、元々両工場とも旧明治製糖(現大日本明治製糖)の工場で、設計者も同一人物であったことがその理由らしい。
建設から約80年。宗谷海峡を挟み、日ロ両国にある双子の工場。双方、末永く変わらない姿で有り続けていてもらいたいものです。
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必見!サハリンの樺太時代の建物探訪 第7弾(旧豊原放送局)

写真はNHKの旧豊原放送局(当時は社団法人日本放送協会)。
1941年12月26日に正式放送(コールサイン:JDAK 出力:50W)を開始するも、1945年8月23日ソ連軍の侵攻に伴い放送を停止、その放送期間は4年にも満たない短いものだった。
しかし、終戦後はユジノサハリンスクラジオ放送局(サハリン州通信庁)として、今もサハリン各地に電波を発信し続けている。

ユジノサハリンスク市カムサモリスカヤ通145付近(敷地はガガーリン公園に隣接)
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写真中央の古びた電波塔は建設当時のもの。

必見!サハリンの樺太時代の建物探訪 第6弾(木造平屋建て一般住宅)

ユジノサハリンスクの街のど真ん中に、取り壊されずに今も有る日本時代の木造平屋建ての家屋。
つい、数年前まで居住する人もあったようですが、今は荒れに荒れ放題。
知っている限りでは、ユジノサハリンスク市内に唯一残る樺太時代の木造一般住宅。
文化財としても希少価値有りと思うのですが、何時まで姿形を留めている事でしょう?
一見の価値有りですよ!

住所:ユジノサハリンスク市ジィエルジンスカバ通29
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サハリンの日本車ディーラー訪問

今年8月にオープンしたばかりの日本車メーカーの正規ディーラー。
都市部以外はダードばかりのサハリンにあって、品質が高く故障知らずの日本のRV車の需要は高く、複数の日本車ディーラーがサハリンへ進出しています。
今日は、そんなサハリンにある日本車のディーラーの一つをご紹介します。

大きな敷地に大きな店舗(2階建て)。ゆとりのある贅沢な建て構え。
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広い展示スペースにはRV車を始め8台の車輌を展示。販売台数は月間30台程と云う。
広々とした整備スペースと洗車スペース。
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部品供給センターも併設、部品供給も万全。日本では非主流のスパイクタイヤも展示販売。
下取り車両は、日本で一般的なディーラー買い取りの他、ユーザーがディーラーの敷地を借り買い手に直接販売する方法もあるとの事。
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ミス・ユジノサハリンスク・コンテスト

昨16日、ユジノサハリンスク市立青少年芸術センターで、2014年度ミス・ユジノサハリンスク・コンテスト(ユジノサハリンスク市主催)が開催された。
ユジノサハリンスク在住の18才から25才までの美女10名が出場、3時間に及ぶ熱い女の戦いを展開?
トークでの自己PRを初め、唄踊りのパフォーマンス、ウェディング・フォーマルドレスの着こなし審査等、熱い女の戦いに会場のボルテージも最高潮に!
改めて、ロシア人女性の美しさを再認識した一夜となりました。
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左上から今年のミスユジノサハリンスク、準ミス2名、今年の司会を務めた昨年のミスユジノサハリンスク
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秋深し、ユジノサハリンスク!

カメラの故障で写真が撮れず、ブログの更新も止まったままでしたが、先日の一時帰国で新規更新。
今日から、長らく中断していたサハリンの様子を随時お伝えしていきます。
さて、写真は10月13日の朝、秋真っ盛りのユジノサハリンスクの様子です。
真っ赤に色付いたナナカマド。朝の気温もプラス1、2度。
初雪もソロソロありそうかな?
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写真:ユジノサハリンスク市ジェルジンスカバ通(チェイホフ劇場付近)

秋到来 ユジノサハリンスク

ここ数日、朝の冷え込みが厳しく、寒さが身に沁みるようになってきました。
待ちゆく人の服装も、半袖から長袖へ。
ふと気づけば、街路樹のリャビーナ(ナナカマド)には真っ赤な実が。
本格的な秋が、すぐそこまでやって来ているようです。
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2014 道北物産展 IN サハリン

昨年に続き、2度目となる道北物産展が9月6日、7日の2日間ユジノサハリンスク(会場:シティーモール)で開催された。
昨年の6都市から3市多い道北9都市が参加。出品数も昨年の3倍程多い92品目。
人気商品のスイカ、メロンを始め、人気商品の前にはオープン前から長蛇の列が。
ここサハリンは、潤沢なオイルマネーにより、モスクワと並びロシアでも一、二を争う高所得地域。
果物、野菜等の人気商品は、日本の販売価格の3倍もするものでも「アッ!」と云う間に売れる一方、今年は品定めをする買い物客も多く売れ残る商品も数々。
「日本側の売りたい商品」と「ロシア側の買いたい商品」に乖離がみられる等、多くの課題が浮き彫りとなった今回の物産展。
販売価格にもよりますが、「全ての日本の商品が飛ぶように売れる」という時代は過去のものになったようです。
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必見!サハリンの樺太時代の建物探訪 第5弾(旧樺太庁会議室)

ゴシック調の半円アーチ型の窓が特徴的な旧樺太庁会議室。
竣工は1935(昭和10)年。
現在もロシア軍の施設として活用されていて写真撮影もままならない状況。
写真は門兵が横を向いた一瞬の隙に撮影した一枚です。

住所:ユジノサハリンスク市ジィェルジンスカバ通41
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ブイコフ炭鉱(旧内淵炭鉱)

ブイコフ炭鉱(旧内淵炭鉱)
樺太時代には内淵炭鉱と呼ばれていたブイコフ炭鉱。
ユジノサハリンスクから北へ30㎞程行ったドリンスク(旧落合)から内陸へ20㎞行った所にある。
戦後、ソ連軍により施設の全てが接収され、国営企業として採炭を再開。
ペレストロイカ以降も細々ながら採掘を続けていたが、2007年に中国企業に売却された後、2011年には廃坑状態。現在はロシア人の管理人が一人常駐しているだけとなっている。
そのため、採炭時に1万人以上が暮らしていたブイコフの人口は、嘗ての日本の多くの炭鉱街同様、閉山により今はその半分の5千人が暮らすだけの、これといった産業も持たない寂れた田舎町となっている。

今も残る施設の多くが日本時代に建設されたものだ
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必見! クリリオン岬(旧西能登呂岬)への道

先週の土日(8/16、17)を利用して、日本人3名とロシアの友人、そしてその仲間7名とで、RV車での1泊2日のキャンプ旅行へ行ってきた。
目的地はクリリオン岬。
クリリオン岬は、日本最北端の宗谷岬から、宗谷海峡を挟み43Km先にある日本から最も近い外国の領土。
その感動のクリリオン岬までの旅の様子をお伝えします。

朝9時、ユジノサハリンスクを出発。西海岸の街ネベリスク(旧本斗)、ゴロナザヴォーツク(旧内幌)、シブニノ(旧南名好)を経て、クリリオン岬へ向かうコース。
ゴロナザヴォーツクからシブニノまでのフラットダートの後、ひたすら続くビーチラン。
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途中、野生の馬に出くわす。嘗ての軍用馬の子孫だろうか。
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往路、数か所の景勝地で休憩。
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クズネツォバ岬(旧宗仁岬)の灯台とそこから望む超絶景はサハリン一。
岬近くの集落では驚くことにヒグマが飼育されている。
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クリリオン岬まで後一息。だが、海渡りと悪路はまだまだ続く。
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遂に、感動のクリリオン岬に到着!
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宗谷海峡を挟み、はっきりと稚内が見える。
写真では不明だが、双眼鏡で宗谷丘陵の風車群、稚内公園に建つ百年記念塔を確認できる。
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キャンプ地、旧白主に到着。
白主は、既に江戸時代中期には松前藩の商場、幕府の番屋が置かれた樺太の玄関口。
間宮林蔵、松浦伝十郎もこの地で寝泊まりしたに違いない。
夕暮れ時、利尻の山をはっきりと確認できる。
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クリリオン岬までのツーリングには、オートバイでの単独ツーリングは決してお勧めできない。
クリリオンまでの道を熟知した地元の者とともに2台以上の4輪駆動車でのツーリングか、加えてオートバイでのツーリングにはサポートカーにガソリンを積載し行くしかない。

必見!サハリンの樺太時代の建物探訪 第4弾(旧豊原町役場)

現存する旧庁舎は、火災で焼失した初代・二代目の庁舎に代わり、昭和3年(1928年)に竣工されたもので、サハリンに唯一残る旧町役場。
現在は、オフィスビルとして供用されている。

住所:ユジノサハリンスク市コムニスチチェスキー大通41
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玄関周りは、今も往時の面影を残し情緒あふれる面構えをしているものの、ピンク色に塗り潰された壁面はどうにも頂けない。
階段の手摺も塗装を施してはいるが、形状は往時そのもの。
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ユジノサハリンスクからウクライナの平和を願う

コルサコフとユジノサハリンスクとを結ぶ幹線道路沿いにあるロシア陸軍の駐屯地。
近頃、何やら不穏な様子。
知らぬ間に、数多くの戦車が集結しています。
聞いた噂では、ウクライナ問題が激化した場合、必要に応じて派遣するのでは、との事。
普段、テレビの中の出来事だった戦争を少し身近に感じた瞬間です。
いずれにしても、これらの戦車が使われることなく、ウクライナ問題が鎮静化するのを願うばかりです。
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posted by ブログ担当 at 08:05Comment(0)その他

ユジノサハリンスクの夏!イワツバメが舞う空

ここ数日、気温30度前後の日が続くユジノサハリンスク。
短いながらも、ここユジノサハリンスクにも本格的な夏が到来!
写真は、早朝ユジノサハリンスク市内の上空を舞うイワツバメの様子です。
夏、イワツバメはロシア南東部から日本等で、岩壁、ビルや橋に巣をつくり集団繁殖するとのことですが、ユジノサハリンスクではソ連時代に数多く建設された4・5階建ての集合住宅の屋根と壁との隙間に営巣しているようです。
暫らくは、イワツバメの囀りが目覚まし代わりの日々が続きそうです。
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毎朝、アパートの窓すれすれにやって来るイワツバメ
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